天保から慶応にかけての幕末民衆史。
民衆闘争史は、民衆が歴史を作る主体だったことを明らかにし、国家史は民衆闘争を国家の枠組みの中に位置づけた。
民衆思想史は、在地の民衆が現実の中にあってどのような思想的営為を残したかを明らかにした。
社会史は、闘わない民衆をも含めた社会全体の姿を明らかにした。
それら研究の蓄積の上で、幕末とはどのような時代だったのかを描くと、本書のようになるのか、という印象を得た。
無名の民衆も、幕末には「個」であることを主張するようになる。
幕藩制社会は微動だにしないかに見えるが、微動だにしないことを前提として築かれていたはずの社会にあって、民衆の中には、村の在りようや自分のなすべきことについて、思惟する人が出てくる。
やや広い視野を持ちえた武士身分の中には、国家はいかにあるべきかという、禁断の思考に立ち入る人も出てきた。
百姓一揆の行動様式は、恩頼関係を前提とし、人身への加害をタブーとした従来から次第に変化し、権力側・民衆側のいずれもが人を殺傷する武器を携行し、かつ使用した。
これは天下一統以来、武力独占と惣無事令により保たれてきた秩序が崩壊していたことを意味する。
江戸時代人の多くにとって夢想だにできなかったと思われる幕府の倒壊は、じつは着々と進んでいたのだった。
自分が自分であることの価値について無名の民衆が目覚め、その価値が国家変革により現実のものとなることに気づくのは、幕府倒壊からまもなくのことで、それは必然なのだった。
天保期と明治期をあまり単純につなげるべきではないが、このように一括して把握することは可能なのではないかと思える一冊だった。