『百姓から見た戦国大名』より古い本だが、戦国時代の村がどのようにものだったのかについて、縦横に語っている。
戦国時代が民衆にとって飢餓の時代だったということは、教科書にはまったく出てこない。
むしろ、惣村の成長によって民衆の力が大きくなったと、とても楽観的な書き方である。
先のノートにも書いたことだが、そのような歴史認識は、1980年代の歴史研究を反映していた。
飢餓の原因は、生産力がいまだ脆弱だったことだろう。
土豪クラスの有力者に支配されていたとはいえ、収奪がさほど苛酷だったとは思えない。
品種改良・灌漑・施肥などにおける技術が未熟だったのか。
戦国大名(ここでは北条氏がとりあげられている)も、百姓に対し、かなり抑制的に年貢・諸役を賦課していたと思う。
戦国時代から江戸時代にかけて、百姓による領主階級への抵抗の一典型として、逃散という闘争形態がある。
農業民が田畑を捨てて何処かへ移動してしまうというのは、ちょっと理解しにくい。
自ら耕す土地を捨てるのは、農業以外により生活を立てるすべがあったからか、もしくは農業によって得られるものが多くないからではなかろうか。
それに加えて戦乱は、田畑を蹂躙するだけでなく、収穫物や未収穫の作物・ちっとも多くない家財道具・女や子供などを奪われる災難でもあった。
だから、逃げたほうが失うものが少なかったのだ。
山里の小集落の裏手に築かれた城郭が、村人たちが戦争を避けるために一時避難する場所だったのではないかという仮説はこの本で示されている。
関東平野周縁の山城には、城主に関する記録や口伝がないものも多い。
自宅の前にもそのような砦があるのだが、おそらく見張り場兼避難所だったのだろう。
かといって、この時代の百姓がひたすら戦乱に怯え逃げ回るだけの存在だったというわけではない。
北条氏などは戦争への協力を求めて百姓と交渉していた。
また、略奪・暴行を避けるために味方だけでなく敵とも交渉した村もあった。
史料が少ないのは残念だが、残る史料によって、今までとは異なる戦国時代像を考えてみたいものだ。