ホブズボーム&ナポリターノ『イタリア共産党との対話』

 「ユーロコミュニズム」時代における、イギリスの歴史学者とイタリア共産党指導者との対話。

 本書の聞き役であるホブズボームは、歴史に対し社会学的にアプローチし、有効な論点を提起された著名な歴史家である。
 その彼がイギリス共産党員だったことは、本書を読むまで知らなかった。

 本書の論点は多岐にわたるが、直訳的な翻訳のせいか、やや理解しにくい。

 自分としては、現代史において、イタリア共産党がどのように活動し、どのような歴史的役割を果たしたかをを知りたかった。

 本書に収録された対話が行われたのは1976年で、フランスとイタリアにおける「ユーロコミュニズム」運動のさなかだった。
 ユーロコミュニズムとは、ソ連や中国など、「社会主義革命」に成功した諸国における、革命の形態や革命理論と発達した資本主義国における社会主義革命とは、社会変革に至る方法は大きく異なり、民主主義的な議会や市民的自由を保障し、広範な左翼勢力との共同によって達成されるものだという問題提起だった。

 ヨーロッパにおいて社会主義革命理論が揺さぶられたことは、日本の社会主義運動にも影響を与え、日本共産党も、自由と民主主義を将来にわたって守ると宣言した。
 このことは、日本共産党に対する国民の警戒感を払拭し、当時「革新勢力」と呼ばれた勢力が共同すれば、日本においても政治変革は可能なのではないかと思わせたが、結果的にそれは実現しなかった。

 レーニンらによって建設されたソ連には、武力革命や共産党独裁や指導者に対する個人崇拝など、その後、世界の社会主義運動の足を引っ張るさまざまな問題点があったのだが、そのことはソ連・中国・東ヨーロッパなどにおいて、共産党の基本的特徴ともなった。
 ベトナムや北朝鮮・キューバでも、同様だった。

 西ヨーロッパと日本の共産党においては、1960年代から指導者に対する馬鹿げた崇拝などは行われなくなっており、議会を通じた革命の可能性が理論的にも実践的にも、模索されつつあった。

 イタリア共産党と日本共産党の歴史的経験の違いで非常に大きいのは、ファシズムの時代における闘い方ではなかろうか。
 ナポリターノは、ファシスト政権下における弾圧により国内での活動が困難だった時期について、反ファシズムの広範な共同を作り出すことに失敗したと総括している。

 日本共産党もやはり、天皇制政府により活動停止していたのだが、「戦争に反対したのは自分たちだけだった」と誇ってみせるだけで、反軍国主義の運動が作られなかった原因については、何も語っていない。
 日本においては、社会主義者と民主主義者が反軍国主義という点で共同するというような動きを作り出すことができなかったのだが、それはなぜなのか。
 歴史学者も分析すべきだし、社会主義者も、理論や運動の仕方にどのように問題があったのか、解明すべきだろう。
 それができないとすれば、日本の共産主義者は学力不足で、ソ連とさほど変わらないレベルだったと言われても仕方がない。

 イタリア共産党が解党するのはソ連崩壊を前にした1991年のことだったが、その原因は、社会主義国の共産党とは異なり、理論的に破綻したのでも、路線的に四分五裂して収拾がつかなくなったのでもなく、イタリアの民主的変革実現のために、共産党よりいくらか理論的な幅を持つ政党があったほうがよいという選択が行われたからだった。

 共産党が存在することが大事なのではない。
 社会がよりよく変革されることが大事なのである。

 日本共産党に、それがわかっているのだろうか。

(1976,10 岩波新書 2023,4,19 読了)

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