若狭出身の作家による若狭紀行。
福井県は、若狭と越前からなるわけだが、この二国の印象はずいぶん異なる。
若狭は約9万石、越前は約70万石。
国力の差は歴然としている。
面積も越前の方がずっと広いのだが、越前は、朝倉氏を世に出した広大な福井平野を有する。
一方、若狭は、リアス海岸を形成する山岳地帯の周縁に田んぼが作られているとはいえ、穀倉地帯ではない。
しかし、石高だけが国の豊かさではない。
ここには海の幸があり、木の文化があったはずだ。
心に沁みるエッセイなのだが、民俗学的なアプローチがされているわけではない。
とはいえ、山と海の迫るこの地で生きた人々(著者の家族を含め)の息づかいが伝わってくる。
「鯉取り文左」や「穴掘り又助」は、庶民伝に取材した好編だった。
「穴掘り又助」に、「谷もまた櫛の目に入りくみ、寺院神社も数多かれど、谷をへだてれば山河も風習もかわりて興味ふかきなり」という『丹後若狭草民宝鑑』からの引用文がある。
それだけ多様な暮らしが存在したということがうかがわれ、じつに含蓄深い。
ひなびた(失礼ながら)古刹も多い土地柄だが、馬頭観音を本尊とする寺院が目立つような気がする。
この点についての言及はなかった。