鈴木元『志位委員長への手紙』

 古参党員による、共産党改革の提言。

 マルクスやレーニンの理論や戦術の歴史的な限界を踏まえて、訓詁学でない社会主義理論・運動のあり方を論じ、日本における共産党のあり方に関し、多角的に論じている。

 マルクスが活動した19世紀半ばからすでに一世紀半が経過し、その時間的経過の中で世界は一変した。
 マルクス主義は教義でなく、学説だから、もちろん、発展させられたり、否定されたりする。
 レーニンは、マルクス主義を、ロシア革命という実践を通じて発展させたのだが、それはマルクス主義のロシア的発展だったのであり、それ以上のものだったわけではない。

 日本共産党は1922年にコミンテルンの支部として結成された。
 結成したのは日本の共産主義者たちだったが、この党がコミンテルンの支部だった事実にも留意しなければならない。

 コミンテルンは、党結成の条件として、「共産党」という党名・民主集中制としう組織原則等を示し(1920)、日本共産党は、これを受け入れることによって成立した。
 この当時の日本の共産主義者には、自国の現実を分析して革命戦略を作り出す力はなかったし、なによりも活動資金さえなく、理論的にも資金的にも、ソ連からの援助に依存するしかなかった。

 1950年に、日本共産党は大きな試練に見舞われた。
 コミンフォルムにより、理論・戦略に関する新方針が示され、理論的に未熟だった日本共産党は分裂した。
 コミンフォルムによって作られた新綱領(51年綱領)に従う人々によって武装革命が試みられ、国民から見放された。

 共産党が統一を回復し、国民からの信頼を再び得ることができるようになったのは、宮本顕治氏の功績が大きいのだが、成功体験を絶対視したのでは、状況の変化に対応することはできない。
 1990年代以降、冷戦が終了し、国内では不況が進行して、新自由主義が礼賛される中でも、共産党は、宮本氏以来の活動スタイルを変えることはなかった。
 中でも、党名・民主集中制については、コミンテルン時代から今に至るまで党内ではほぼタブーとなっている。

 世界が環境問題や人口問題・グローバル企業による租税回避・差別と貧困など、複雑な多くの問題を抱えている今、もっとも重要な課題は、いかにして多数による共同を作り出すかという点である。
 著者による最も重要な論点も、そこだと思われる。

 つい先日、著者は、本書の刊行を理由として、共産党を除名された。
 日本共産党は、自壊しつつある。

(ISBN978-4-7803-1260-7 C0031 \1800E 2023,1 かもがわ出版 2023,3,27 読了)

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