加藤祐三『イギリスとアジア』

 19世紀のインド・清国とイギリスの経済的な関係を庶民の生活レベルから解説していて、面白い。

 イギリス・清・インドの三角貿易については、教科書的な理解で間違いなさそうだ。
 本書では、対イギリス関係で圧倒的な入超のため破綻しかねなかった植民地インドの経済が、アヘン貿易によってかろうじて均衡を保っていたことが示されている。

 それに加えて、イギリスの対清貿易も、紅茶と陶器と茶の輸入により大幅な入超となっていた。
 イギリスの綿織物・毛織物が、清国市場を暴風のように席巻してもおかしくなかったというのが、素人考えでは想定されるのだが、清は開く港を厳しく制限しており、さらに土布(従来の清国産綿布)の市場力に勝てなかったという。
 イギリス綿布を寄せつけない土布の市場力とは何だったのかについては、言及されていない。

 ともかく、インド(イギリス)にとって、アヘンの存在は天佑だった。
 アヘンのおかげでインドは破綻を免れ、イギリスはインドから搾取し続けることができたのだから。

 あまり詳述されないが、日本にアヘンが持ち込まれなかった要因についても、ふれられている。

 イギリスにとって日本が市場としてさほど魅力的ではなかったこと、通商条約交渉にあたったハリスが、アメリカはアヘンを持ち込まないと約束したばかりか、アメリカ以外の国(すなわちイギリス)のアヘン持ち込みを断固拒否するよう勧めたこと、幕府自身がアヘン戦争の情報に接していたことからアヘンに警戒していたことなどが、日本がアヘンと無縁だった要因だという。
 張学良もアヘン中毒者だったというが、清国・中国にとって、アヘンフリーの国になったことによる損失ははかりしれない。

 本書はまた、日本がイギリスによってインド・清国のように過酷な侵略を受けなかった原因についても、論じている。

 日本も、インド・清国と同様に、19世紀にイギリスと遭遇したのだが、日本と交渉するようになったころのイギリスは、清・インドへの侵略で手一杯の状態であり、市場としてさほど魅力的とも言えない日本に、そこまで注力する余裕はなかった。
 さらに、日本が開港した19世紀後半には、インドで行ったような武断的なやり方は、過去のものとなっていた、ということらしい。

 世界を大きく俯瞰しつつ、日本の幕末を考えることができる、好著だった。

(ISBN4-00-420108-X C0222 P490E 1980,1 岩波新書 2023,3,2 読了)

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