戦前・戦後の日本共産党幹部だった伊藤律氏の帰国前後について記している。
伊藤律氏は、1941年ののゾルゲ事件の際に、ゾルゲと尾崎秀実を特高に売ったのではないかと言われた人物だった。
にもかかわらず戦後には、徳田球一氏の側近となり、いわゆる50年問題当時に行方不明となった。
彼は、徳田氏とともに中国に渡ったとか、権力によって消されたとか、また共産党によって殺害されたとか、言われていた。
その伊藤氏が1980年に、中国から帰国することになった。
つまり彼は、生きていたのてである。
尾崎秀樹氏の『生きていたユダ』は読んでいた。
この本は伊藤氏を権力のスパイで、ファシズムへの草の根の抵抗を摘む役割を果たしたと断罪していたと記憶する。
日本共産党もまた、伊藤氏を党の裏切り者扱いしていた。
しかし彼は、中国共産党によって幽閉され、文化大革命の際には迫害され、健康を害しながらも生き抜いていたのである。
伊藤氏の生存が明らかになり、直筆の手紙が家族に届いたのち、次男である著者と母(伊藤氏の妻)は共産党本部に連絡する。
まず、このお二人が父または夫を裏切り者と指弾している日本共産党の党員で、おそらく誠実に長らく活動してきたことに驚いた。
共産党とは、これほどに誠実な人びとによって支えられていたのだと感じたからだ。
伊藤氏自身は、裏切り者だという評価は党側の誤解であり、説明すれば解決すると考えていたらしいが、党は伊藤氏の主張を黙殺する一方、
共産党側で対応したのは当時中央委員会議長だった野坂参三氏と戎谷春松氏(副委員長?)の二人で、党側の伊藤への評価は、変わらなかった。
今になって思えば、後ろ暗いところがあったのは野坂氏の方なので、野坂氏が伊藤氏の冤罪をもみ消そうとしたのだろう。
日本共産党は、伊藤律氏の冤罪を公式に認め、裏切り者扱いを撤回の上、謝罪すべきである。
それが、歴史に対し誠意ある態度である。