ヨーロッパにおける歴史修正主義に対し各国がどのような対応をしてきたのかについて、ていねいにあとづけている。
ヨーロッパにとって、ホロコーストとナチズムは、克服すべき課題と認識されていた。
歴史学はもちろん、ヨーロッパの人々にとって、この二つは、人権侵害と反民主主義の最たるものであり、もっとも憎むべきできごとであり、復活を許してはならない悪夢の歴史だった。
しかし、歴史を書き換えようという衝動は、どこにでも生起する。
ドイツや、ヴィシー政権を経験したフランスで、自国の過去を矮小化・美化しようとする思想は生起した。
これらの国では、歴史の書き換えに対する議論が起こり、ホロコースト否定を違法とする法整備に到達した。
司法と立法の理性が、働いたといえる。
一方でアメリカやイギリスでは、ホロコースト否定もまたひとつの言論であり、そのような言説の存在も認められるべきたと考えられた。
ここでは、荒唐無稽なホロコースト否定論に対し、歴史家や法律家が、割に合わない膨大な立証に取り組み、判例を積み重ねた。
結果的に、ホロコースト否定論者のいる場所はなくなった。
日本では、司法と立法に理性が働いているとはいえない。
ホロコースト否定論は、十分な根拠を持ってホロコーストを否定するのではなく、一部受けする否定論を述べることにより、多くの人々に「ホロコーストはなかったのかも」という印象を持たせる効果があるという。
声高に叫ぶことによって、デマを真実と思わせるやり方が、日本では有効なのである。
これに対し、果敢に闘われたのが家永三郎さんだったが、画期的な判決を得ることができたのは下級審だけで、上級審では、結論だけ言えば、敗北せざるをえなかった。
このような現実を日本の民度と言ってしまえば、身も蓋もない。
それをどう変えるかが問われている。