コミュニストによる新ケインズ学的な具体的処方箋。
20世紀の経済学を大雑把に振り返ればやはり、ロシア革命の衝撃は大きかった。
貧困と恐慌という資本主義経済の宿痾を根本的に解決するには、社会主義経済の実現以外にはないというのが、20世紀初頭の認識だったと思う。
資本主義を擁護する学説は、これを決定的に論破することができなかった。
矛盾を対外侵略によって解消しようとする帝国主義は、カッコ付きながら、これへの一つの解答だったと言えるだろう。
第二次大戦における日独伊は、政治形態の側面からファシズムすなわち独裁国家と評されるが、矛盾を膨張政策により解決しようとする、最も典型的な帝国主義国家でもあった。
スターリンのロシアは実際のところ帝国主義と大差なかったのだが、社会主義経済を称しており、その実態は外部からはわからなかった。
日本の社会主義者はもちろん、ソ連を理想国家と信じていた。
そしてソ連は、ヒトラーに裏切られたために、最も凶悪な帝国主義(日独伊)と手を切って、民主主義を自称する穏やかな帝国主義の陣営に入った。
第二次大戦後の世界は、社会主義を自称するソ連の存在が前提となった。
社会主義を自称する以上、特権階級の存在は否定されねばならず、能力に応じて働き、労働に応じて受け取ることが、少なくとも表面的には実現されねばならなかった。
貧困や餓死などあるはずもなく、社会保障も整備されて、労働者・農民の楽園が実現しつつあると見られており、そのことが、資本主義国の社会主義者が革命をめざす最大の動機となっていた。
穏やかな帝国主義国が、革命勢力と対抗するには、貧困と恐慌に対する処方箋が必要だった。
ケインズ学は、市場経済が帝国主義化することなく成長し続ける道を示した。
1980年代に社会主義の破綻が予見されたことと、新自由主義の台頭は、おそらく連動している。
新自由主義経済は、労働者の生活をロシア革命前に引き戻し(暴力的な貧困ではないが)、むごい搾取の時代が再来した。
社会主義が破綻しなければこんなことにはならなかったかといえば、それは疑問だ。
ソ連や中国の社会主義は、かつて社会主義者が夢見たものとは似ても似つかぬ、権力的で特権的で非合理的で悲惨なものだったから。
日本には、新自由主義の旗を遅まきながら振る学者はいた。
世界の大勢がそうだったから、与野党の政治家たちも一斉にそちらへなびき、暮らしと経済はひどく傷んだ。
それをどう立て直すか。
原理主義的なことを叫んでも、その声は虚空に消えるのみである。
財政・制度・金融のどこをどう改めることによって、状況を改善できるのか。
著者は、そのための具体策をこの本で提示されている。
現状をどこかでよい方向に向けねばならない。
ここに書いてあることですべてが解決するわけではないにせよ。