造幣・養蚕製糸・製鉄の各分野における江戸時代技術史。
文献と実物に即して論じられており、興味深い。
いずれの分野についても面白いが、製糸と製鉄については特に目を開かされた。
日本における養蚕・製糸業の本格的な展開は江戸中期以降だった。
秩父地方で妙見社(秩父神社)の例大祭において盛大な附祭(夜祭)が行われるようになったのがおおむねその時期だという史実とも符合する。
江戸時代は農業技術が着実に進歩した時代でもあった。
そのことに貢献したのは農書だったのだが、かなり早くから養蚕技術書も書かれていた。
中沢市朗さんは江戸時代の養蚕をあまり科学的でなかったと評されていたが、それはやや違うと思われる。
開港ころの日本の養蚕技術は、神仏頼みの荒唐無稽なものなどでなく、温度・湿度・気流の調節によって好結果を生むことは明らかにされていた。
開港以降の技術的難点は、製糸技術の未熟さにあった。
世界市場に存在し続けるためには、生糸の高品質化と均質化・規格化が不可欠だったにもかかわらず、日本でようやく普及していたのは座繰製糸で、ヨーロッパの器械製糸に伍していける段階ではなかった。
政府と業界はそれを理解していたから、権力的な品質統制を敷きつつあった。
このことに対する反感や抵抗を示す史料を見たことはない。
製品の高品質化が不当だという理屈は成り立たないから、養蚕民はそれらの統制を受け入れ、品質の向上に励んでいたものと思われる。
このようなとき、新たな技術に対応する設備投資が行われるのは当然だったはずだ。
本書は秩父事件についても言及しているが、秩父事件研究がまだ進んでいなかった時代の本なので、あまり詳しくはない。
本書後半は中国地方におけるたたら製鉄技術について、詳しく紹介している。
石見における製鉄史を読んでぜひ訪れてみたくなった。
一方、東日本における製鉄史におけるエポックが上州・下仁田在の中小坂鉱山だったことが述べられている。
はるか昔に消え去ったわけでないのに、史料も遺跡も殆ど残っていないのでさすがの本書も詳述されていない。
釜石周辺の鉄山についても、おおむね同様だ。
東日本においてもたたら製鉄が行われていなかったはずはないのだが、案外に記録は残っていないようだ。