中北浩爾『日本共産党』

 日本共産党の100年を政治学者が描いている。

 政党が人間の集まりである以上、間違いや落とし穴は、いくらでもあり得る。
 間違わないのが神なのだが、人を神扱いし始めたのはレーニン死後のスターリンだろう。
 その後、共産党の最高指導者を神扱いする風潮はソ連共産党支配下の各国共産党に波及し、毛沢東や金日成やチャウシェスクを生み出した。

 ホーチミンやカストロが神格化されていないのは彼ら自身の人徳というべきであって、一歩間違えばベトナムやキューバもどうなったか、知れたものではなかった。
 社会主義思想そのものの中に指導者の神格化などないから、この問題は思想そのものの中に淵源するのではなく、特定の歴史的条件のもとで発生した事態というべきだろう。

 日本の共産主義運動はまず、マルクスやレーニンの著作をきちんと読むことさえできなかったという、歴史的制約のもとにおがれたところから出発する。
 さらに、そもそもコミンテルン、さらに言えばスターリン主義の圧倒的な影響下から出発せざるをえなかったという制約をも、考慮しなければならない。
 1922年に結党されたと言っても、スタート地点における日本の共産党は、政党としてはヨチヨチ歩き状態以下だったといえよう。

 この党が国民の前にあらわれたのは戦後からだった。
 治安維持法の記憶が冷めやらなかった戦後すぐの段階で、共産党が一定の支持を得ることができたのは、やや意外に思えるかもしれない。
 このことは、共産党に対する日本国民の警戒感が戦後になってからより強まったことを意味している。
 国民の中にある反共意識は、戦後になってから醸成されたものである。

 国民から恐怖され警戒されるようになった原因は、戦後の武装革命運動だった。
 現在の共産党指導部は、この路線は分裂していた一部の人々が主導したものであって、党の正式な決定によるものではないと言っているが、分裂していたとはいえ、党が組織的に行ったものであることに違いはなく、のちに党が統一して以降、いわゆる所感派が組織的に排除されたわけでなく(排除すべきだったと言いたいわけではない)、この運動が自分たちとは無関係だというのは無責任である。

 本書がいうように、スターリン死後数年たち、いわゆる自主独立路線が確立するまで、日本共産党は自前の理論家を持ちえず、ソ連や中国共産党の顔色をうかがいながら右顧左眄していたと言われても仕方かなろう。
 日本社会の中で共産党が根づき、重要な立ち位置を占めるまで、ずいぶん時間がかかった。
 これは、戦後の誤りによる国民の不信を払拭するのに必要な時間だった。
 それは宮本顕治氏によって確立された路線と、本書はいうが、そのような捉え方をするべきでない。
 過激派の一種として消え去るかに見えた日本共産党が復活し、国政に一定の影響を持つまでに至ったのは、自分を犠牲にして地域や職場で生活・権利のために闘い続けた多くの党員たちの不断の努力があったからである。

 1960年代に確立されたこの路線を採って以降、いくつかの問題を抱えつつも、共産党は頑張り続けている。
 旧社会主義国の共産党が、形だけ存続してはいても、理論的に破綻しており、実質的な存在意義はなくなっている。
 ベトナムやキューバでは問題はさほど顕在化していないかに見えるが、社会主義国の共産党も、あらたな理論創造は行われず、中国や北朝鮮ではスターリン時代となんら変わらない指導者の神格化が行われている。
 1970年代に一世を風靡したいわゆるユーロコミュニズムも消滅する中で、日本共産党はどうなるのか。

 自主独立路線を確立して頑張っている日本共産党だが、先の見通しは、明るいとはいえない。
 小選挙区制は少数政党にとって不利な選挙制度であり、共産党が選挙区で議席を得る可能性は殆どない。
 さらに党員の高齢化により活動量が激減し、新たな理論的創造が停滞している。

 本書は、民主集中制と称される中央集権体制が、党の活性化を萎縮させる要因となっていると述べている。
 自由こそが創造的な活動の母胎となる点について、共産党も否定はしていないと思われる。
 開かれた組織になれば、極論や日和見的な意見が公然と述べられることにもなろう。
 しかし、それもまた民主主義なのである。

 共産党幹部のパワハラ行為が数日前に明らかになり、本人が公然と謝罪した。責任を認めることは諒とされてよい。
 しかし、そのようなパワハラ行為が党の体質のどこかに常在化していないか。
 民主主義的な党の運営と創造的な現状変革路線は、両立できるのかどうなのか、問われている。

(ISBN978-4-12-102695-8 C1231 \1100E 2022,5 中公新書 2022,11,14 読了)

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