1972年11月8日に早稲田大学文学部キャンパスで、一文の学生川口大三郎さんが革マル派学生により虐殺された。
著者は、革マル派自治会リコール後に一文自治会の委員長となり、早稲田に自由と自治を取り戻す運動を担われた。
私が一文に入学したのは1975年だから、著者は三学年上にあたる。
お名前を耳にした記憶があるような気もするが、面識はなかったと思う。
在学中、革マル派学生に両腕を掴まれてねじ上げられ、暴行を受けたときに、止めに入ろうとした上級生らしき人がいた。
その人は著者ではなかっただろうか。
入学後、知り合った先輩たちのうち、「11.8」を直接知っているのは、四年生の皆さんだった。
歴史を学ぶサークルに誘われたときに話を聞かせてくれた四年生がもっとも強く語っていたのは、自分たちの学びの原点は「11.8」なんだということだった。
その意味を理解することはもちろんできなかったが、彼らの真剣な口調やまなざしから、言わんとすることは十分に伝わった。
にもかかわらず、自分の怠慢が主たる原因だが、「11.8」の歴史をていねいに俯瞰してみたことはなかった。
もちろん、ある程度以上のことは知っているつもりだったが。
川口さんという大きな犠牲を払った以上、大学の自治とは何なのかについて、早稲田の学生はもっと語り継ぐべきだった。
私の在学中、革マル派は相変わらず、実態がないにも関わらず大学当局と癒着して自治会を僭称し、少人数で「闘争」を続けていた。
前期試験はかろうじて行われたが、学費闘争を名目とするバリスト(バリケードストライキ)によって、後期試験はいつもレポートに切り替えられた。
バリストにより、学生は登校もクラス討議もできなくなったのであり、学費闘争を破壊したのは革マルに他ならなかった。
授業開始前の各クラスには、革マル派の「担任」が訪れてひとしきりアジるのが通例で、クラスには革マル派に共鳴している学友もいた。
共産党員と思われる先生の授業に際しては、革マル派学生が先生に独善的な議論を吹きかけ、聴講している学生すべてがその男に出ていってくれと求めても、それを無視して居座り、半年以上も授業をやらせない嫌がらせを行ったが、大学はなんの処置もとってくれなかった。
本書に目を通していて、何度も涙がこぼれた。
大学の自由と自治について、もっともっと深く知りたかったし、考えたかった。
友と師を得た大学に、無限の謝意を感じている。しかし、早稲田大学に対し、それ以上に不信感が大きい。
川口さんの事件は、大学にとっても原点であるべきではなかったか。
当時の大学当局者にとって川口さんの死は、処理すべき案件の一つに過ぎなかったのか。
本書には、事件当時一文自治会副委員長だった大岩圭之介(辻信一)さんと著者の対談が収録されている。
大岩さんの姿を見たことはないが、一文自治会委員長代行の肩書で立看板やビラなどでおなじみだった名前だから、忘れようがない。
ペンネームで大学教授になられている大岩さんの、革マル派時代の回想は、チャラすぎてじつに気持ち悪かった。
彼にとって革マル派の活動は、一時期ハマっていたファッションのようなものだったらしい。
(彼自身は手を下していないとはいえ)一人の学生を学内で殺害し、何人もの学生を退学に追い込んで人生を狂わせたことについて、大岩さんはまともに向き合おうとせず、深く考えようとしない。
そんな人物が環境やスローな生き方を語る。もっとも大切なことを突き詰めようとしないで、人の耳に入りやすそうなことをしゃべり散らす。
自分たちがやったことは何だったのか。なぜ考えようとしないのか。