『義民が駆ける』が描く三方領地替え反対運動をより深く味わうためのウンチクが語られている。
著者によれば、一人の犠牲者も出さずに要求を貫徹したこの一揆が起きた原因たる三方領地替えは、当時の東アジア情勢を踏まえて理解する必要があるという。
三方領地替は、川越藩の松平斉省が財政難に苦しむ中、父親の大御所徳川家斉が、実入りの多い庄内藩に転封させようとしたと理解されている。
要は、大奥の人間関係がこの件の原因だったという話である。
藤沢作品も基本的に、この説を踏襲されている。
それに対し著者は、領地替え計画がアヘン戦争勃発と同時に具体化したのは、太平洋側に比べ手薄な、日本海沿岸の海防体制強化計画の一環だったという。
幕府が目をつけたのは、長岡藩が持つ新潟港と庄内藩が持つ酒田港で、領地替えを提起し、場合によってそれを撤回する代わりに両港を直轄化しようとしたのではないかと、著者は言われる。
これは非常にスケールの大きな話なので、小説に書き込むのは困難だっただろう。
もう一つは、この運動の意味について。
「雖為百姓不事二君(百姓たりと雖も二君に事えず)」がクローズアップされたことにより、領民が庄内藩主酒井氏を慕って転封反対を運動したのがこの闘いだったかのごとく言われており、三方領地替え反対運動は現在も「天保義民事件」と呼ばれている。
藤沢作品は、運動の動機が酒井氏への忠義心だなどとは述べていないが、タイトルには「義民」の語を使っている。
著者は、「天保義民」という言い方は、昭和初期に「忠君愛郷」という思潮が大きくなる中で定着させられたということに留意すべきだと言われる。
この運動については、戦前以来、研究の蓄積があり、事件の全容がほぼ解明されているのかと思ったが、未だ研究途上なのだと著者は言われている。