白川部達夫『近世の百姓世界』

 近世百姓の人間関係・土地関係等の変化を丹念に分析した書で、とても読み応えがあった。

 中世の在村は、武士の館を中心として、周囲に自宅を持つ隷属民や自宅を持たない隷属民が暮らしており、隷属民の生活は不安定で、生活や生命も保障された状態ではなかったと思われる。
 武士は、棟梁的存在に従属して、ときに郎党(隷属民が任じられる)を伴って戦闘に出向いた。

 近世への移行期になると、かつての武士は領主に従属する専門的な戦闘員化するものと、在地に戻り大百姓として隷属民を使役するものとに分化した。
 また、比較的裕福だった隷属民のなかには、大百姓化するものもいたと思われる。

 いわゆる小農が自立してから近世社会が成立したのではなく、江戸幕府成立後に小百姓の闘いがあって、17世紀後半に小百姓を中心とする近世的在村秩序が形成された。
 近世的在村秩序が崩壊に向かうのは18世紀中葉で、少商品生産が広範に成立し、領主階級が新たな収奪策を打ち出す一方、在村に新たな富裕層(豪農と称される)が出現したことによる。

 ここで小百姓の闘いは、先例や古法によって現状の暮らしを維持しようという形をとる。
 ここではもちろん、現状に代わる世の中への構想など、存在しない。

 一方、領主階級の頂点にあって正義のすべてを体現しているはずだった公儀も、新たな経済情勢に対応する能力を持たなかったから、その権威にほころびが見られ始める。
 ここから世直しという意識への回路が開かれる。
 著者は、公儀より上位の超越的な正義を体現する存在として、「天」という意識が一般化したと述べられているが、その点についてはちょっと実感がない。

 世直し騒動で「平均」という言葉が語られたのは、幕藩制的秩序意識が正当性を持てなくなったことを示している。
 潰れに陥りそうになった百姓がもとの暮らしを回復する方法はまず、質地の請戻しだった。請戻しは、負債を弁済することだから、合法的なやり方だった。
 取り戻しは、負債の弁済に関わらず何らかの超法規的なやり方で土地を回復する方法だった。
 世直し段階に登場する「平均」は、強制的に土地均等を実現しようとするものだった。

 「平均」は、制度(法的な枠組み)を変革しない限り実現できないから、なんらかの実力行使が伴わなければならない。
 一方、法的な枠組みの内側で「平均」に近づける動きも存在し、大惣代その他の村役人のリコールや厳正な選挙がそれだった。

 世直しという意識は、貼札や打毀しなどの非合法闘争だけでなく、仁政の実現を直接の目的とするのでなく、実質的な自治の実現をめざす村方騒動が闘われることによって、政治的経験が蓄積されていく。

 かつて自分は、そのような状況を、村政レベルでの主体形成ととらえたが、それは基本的にまちがっていないと思う。

(ISBN4-642-05469-3 C0320 \1700E 1999,6 吉川弘文館 2021,3,29 読了)