天保期に庄内藩で起きた、三方領知替えに抗する闘いを描いた小説。
このときの庄内領百姓の闘いは、大奥(徳川家斉)と老中首座(水野忠邦)の決定を覆したのだから、江戸時代の民衆闘争として特筆されてよい成果を上げたと言える。
しかし、あとがきで著者も書かれているが、領内民衆が掲げたという「百姓と雖も二君に仕えず」というスローガンには、違和感が残る。
この闘いの意味は単純化できず、多角的に検討する必要がある。
違和感の一つは、一般の読者にとって、酒井家による治世が善政だということが前提条件になってしまっている点である。
酒井家がことさら苛政を行ったということはないにしても、他領と比べ特に負担が軽かったわけでもないだろう。
領民にとって、悪評高い川越藩松平家の入封を阻止するために、酒井家の治世を事実以上に持ち上げたに過ぎないと思われるのだが、結果的に酒井家美談が無批判なまま前提とされている。
百姓と雖も二君に仕えずとは、いかにも朱子学者が喜びそうな文言だが、これも松平家の入封を阻止するための戦術にすぎない。
著者は当然、そのことを見抜かれている。
しかし一般の読者向けに書かれた解説には、あたかも、庄内領百姓がそのような名分論的な意識をもってこの闘いに参加したかのような書き方がなされている。
これを義民と呼ぶのは、明らかに的外れな評価である。
本作品は、名分論的美談によって修飾されたこの事件の本質に迫るために、酒井家のフィクサー的存在だった本間家の動きや幕閣内部の権力争いにも目配りしている。
三方領知替えは、水野による天保改革の一部だったのであり、これに慎重だった大名や幕閣幹部は近年の流行に従えば「守旧派」である。
改革とは傾きかけた幕府の建て直し策だったから、各地の領民にとって迷惑以外の何者でもなかった。
領民にとって、それまでの暮らしを維持するためには、それまでの領主による支配が継続されることが必要と考えられたのであり、酒井家美化も名分論に媚びたスローガンも、戦術の一環に過ぎなかった。