出羽三山信仰について百科全書的に解説した書。
羽黒修験の活動範囲は概ね、東北から関東一円になる。
修験道は江戸時代に本山派・当山派・羽黒派に系列化されたという。
修験の信仰エリアは一定の地域を中心としているが、境界線はファジーである。
日光周辺は勝道という個性を中心にしているが、武蔵は三峰山や御嶽山、相模は大山といった修験寺院を中心とした信仰圏を形成している。
ところが、その起源はあまりはっきりしていない。
密教的な作法や真言などはあっても、修験道自体に明確な教義や規格化された作法というようなものがあったわけではなさそうだ。
修験は基本的に、個人が自ら法力・験力の習得や祈願の実現のために行うものであり、誰かによってオーソライズされなければ無価値になるわけではない。
寺院の開基などというのは一種のオーソリティで、その寺院の箔付けの意味しか持たない。
しかし、箔で雨を降らせたり、病気を治したりすることなどできない。
問われるのは、その行者の法力・験力なのである。
本書は、羽黒修験の起源と歴史について史料に依存しつつ解明しようとしているが、推論が飛躍していると感じる部分が多いのはやむを得ない。
一方、修験が安定的な形を整えたのが、行者が村に定住するようになった江戸時代であろうことは、ほぼ間違いないと思われる。
この時代に、先達・宿坊・山伏・僧侶など、一般庶民が出羽三山を巡礼する上で必要なシステムが完成して、三山が名所化し、善男善女や著名人が大挙して参詣に訪れるようになった。
参詣の動機は、物見遊山を除けば現世利益で、教義にかかわる動機は少なかったと思われる。
2019年の初秋に出羽三山を訪れたのだが、神職(僧)がエラそうにしていたので、さほどいい印象を持つことはできなかった。
この本を読んで、登山だけでなく、各所の別当寺院などを含めて、もう少し歩いてみたいと思ったのは事実である。