修験道とはそもそもなにかというところから説き起こし、修験道的観点からみた現代文明論にまで、論じられている。
約10年前に、自分なりの修験道理解を書いたのだが、ここでは、里修験について全く思いが至っていない。
江戸時代に、だいたいどこの村にも一人や二人、修験という身分というか、職業を持つ人がいた。
以前は、彼らを「拝み屋さん」的に理解していたのだが、それは一面的だと思う。
祈祷すること・卜占を行うこと・邪気を払うこと・悩みや病気の相談にのること等々は、江戸時代まで、村の中の誰かが担わねばならなかった。
人々の不安や苦悩と向き合うという行為は、人の社会において、なくてはならないサービスだろう。
ところがそのような行為は、甚だしく心的エネルギーを消費する。
修験者たちは、心的エネルギーが衰耗した状態では自分の持つ験力が減退することを自覚しており、験力を回復するため、修行により心的エネルギーを復活させようとする。
ここらへんが、間違えぬよう目の前に経本をおいて読経する現代の一部の坊さんとちがうところだと言える。
山の中で、修験の格好をしてエラそうに歩いている人をたまに見る。
懺悔(さんげ)とは徹底した自己否定であり、六根清浄とは他を害することの徹底的な否定であるから、エラそうに歩くことはちょっと勘違いしている。
山を歩くときには、自己を否定すべきだ。
できれば熊よけ鈴もないほうがよいが、不幸な出会いを避けるためにはやむを得ない。
もちろん、山に自然に消えることのない何かを残すことも避けるべきだ。
自己を無化して、岩や滝や樹木のエネルギーと一体化できたとき、他を癒やしうる心的エネルギーを回復できるのだろう。
里修験とは、そのような人々だったと思われる。