神仏分離をその前段階からていねいに解説した書。
「日本」の歴史を振り返ってみれば神仏分離などありえないのだが、明治政府はそれを強行した。
ほぼ融合していた神社と寺院を分離するなど、ほとんど不可能なことだったのだが、それは、権力を背景に強行された。
教理が体系化されたのは、神社より仏教のほうが古かったと思われる
神道が理論づけられたのはおそらく中世である。
しかしながら神道と仏教は、別物ながら一体のものとして存在してきた。
これを問題視したのは水戸学だった。
水戸では、徳川光圀の時代に第一次神仏分離が強行され、天保期に第二次神仏分離が行われた。
水戸藩の第二次神仏分離は、明治時代のそれのモデルとなった。
『太平記<よみ>の可能性』などにおいて指摘されているように、水戸学は、鎌倉時代に登場し、後醍醐らによって信奉された朱子学の大義名分論を源流としていた。
大義名分論は、現実を見ない。
歴史も見ない。
想念と現実を混同し、想念こそが現実でなければならないとする観念論である。
明治初年に行われたのは、想念による現実破壊だった。
神仏分離は同時に廃仏毀釈を伴って進行した。
歴史を学んできたものとして、文化財や古記録を破壊することに対し、皮膚感覚的な嫌悪感がある。
ここで日本列島の貴重な伝統文化が大量に失われた。
明治から大正にかけて、神仏の分裂状態が続き、現在に至っている。
もはやどうしようもないのかもしれないが、一部の寺社で伝統的に神仏が混在しているケースもあり、修験道もマイナーながら命脈を保っている。
これは残すべきだ。
ファナティックな名分論の復活を許してはならない。