この作品の文章は、とても美しい。
それだけで、読む価値があると思う。
『ヘヴン』は、自分的には結末が破綻しているように思えたから、この作品もそうなるかと不安に思いながら読んでいったが、小説のリアルが瓦解することなく、静かにエンディングしたのは、幸いだった。
主人公冬子と三束さんの淡い関係が、読んでて安心できる。
冬子は、校閲の仕事を実直かつ心込めてこなしている女性である。
男性関係もほとんどなく、そのような自分に違和感なく、周囲に自己を誇示することもなく、日々を誠実に生きている。
仕事上の友人である石川聖が、冬子を「信頼できる人」と評しているが、冬子はそんな女性として造形されている。
作家がそのような人物を造形しているところに、とても共感する。
三束さんがどのような性格の人物なのか、作品からはほとんどわからない。
主人公は冬子なのだから、そのほうがいいのだと思う。
三束さんは優しく、過大にも過小にも扱わず、等身大の冬子を受け入れてくれる。
こう言ってはなんだが、三束さんはただそれだけの人として描かれる。
冬子の中で三束さんへの慕情が次第に大きくなり、制御が難しくなっていく。
恋情とはそのようなものだから、なぜそうなるのかなどに意味はない。
そんなとき、冬子が湧き上がる恋情とどう向き合おうとするかというところで、ていねいで美しい描写が展開する。
ああ、恋情とは本来このようなものなのだな、と思いながら、暖かく行き届いた文章で心を洗う。
暴力は好きでない。
憎悪や罵言も好きでない。
恋が終わるとき、破壊音がないほうがいい。
大きな破綻もないのに、二人の淡い恋愛はいつの間にか終わる。
冬子はもちろん、三束さんも涙しているだろうが、恋のそんな終わり方だったら、誰も傷つかない。
恋の終わり方は、そんなのがよい。