いずれも興福寺別当を務めた教覚・尋尊という二人の僧の視点から応仁の乱を描いた本。
京都を荒廃させた大きな内乱は、足利義政・日野富子・山名宗全・細川勝元・畠山氏・斯波氏らの複雑な人間関係のもつれが原因と説明するのがもっともらしく、わかりやすいのだが、実際のところは、在地の武将たちが独自の思惑で両軍を行き来して、戦争状態を長引かせたのが実態だった。
教覚と尋尊は、斜陽状態に陥りつつあった興福寺にあって、経営悪化を防ぐための手を尽くす立場にあった。
興福寺は、大和の守護でもあったわけだが、配下の武将たちを制御することは容易でなく、特に教覚は悪戦苦闘を強いられた。
内乱プロセスのどこに着目すれば応仁の乱の本質が理解できるのか、本書をヒントに検討してみたい。