秩父地方では神の御眷属とされている狼信仰の周辺を探った本。
ニホンオオカミは、明治時代まで、関東山地に広く生息しており、地域の人々にとって身近な存在だった。
『新編武蔵風土記稿』の秩父地方の項には、畑は猪や鹿による食害に常時さらされているといった記述がいたるところに見られる。
多少の誇張はあったかもしれないが、それは今なお深刻な現実である。
江戸時代以前の狼信仰については、よくわかっていない。
今のところ、狼信仰が一般化したのは江戸時代だと思われる。
とするとそれは、秩父(に限らないが)の養蚕業の普及と軌を一にする。
今はさほどでもない(もっともわが家では一時かなり深刻だった)が、養蚕業における鼠害はおそらく、頭の痛い問題だったと思われる。
蚕や繭は、鼠の好餌だからである。
狼を眷属とする神社は、秩父地方に多いが、群馬県桐生周辺や阿武隈山地でも見たことがある。
これらはいずれも、養蚕業の盛んだったところである。
狼信仰はおそらく、養蚕業と関係する。
また狼信仰は、修験道とも関係すると思われる。
現在の御岳神社(武甲山)・三峯神社などは、江戸時代に修験寺院だったところである。
百姓以上に修験者にとって、狼は身近な存在だったはずである。
秩父山地における食物連鎖の頂点に位置しながら、人へ危害を加えることの少ない狼は、神威を感じさせる存在だったのだろう。
山村での暮らしは、列島民にとってごくあたりまえのことだった。
山村では、軋轢を生じる部分は当然あるものの、人と動物とが折り合いをつけながら暮らしており、野生動物が生息していない状態を人が望むことはありえない。
都市では、野生動物は暮らしから縁遠い存在となる。
都市では、「猪が出た」「熊が出た」がニュースとなり、学校で注意喚起がされ、動物は捕獲ないし殺害される。
狼が今も生息していたらやはり、「駆除」の対象となっただろう。
列島で人は、生態系の一員として暮らしてきたのだが、今やまるで西洋人のように、野生動物が存在することを「異常」と感じて暮らす。
「快適」な暮らしのためにもっと原発を! と言ってるくらいだから、滅亡まっしぐらと言わざるを得ない。