後醍醐天皇と彼の評価について、従来の説を大きく転換させた書。
後醍醐のイメージは、網野善彦『異形の王権』に鮮烈である。
本書は、かつて存在しなかった天皇親政を実現するために、後醍醐が前例のない行動を行った事実を記しながらも、網野氏がいうほど「異形」だったわけではないと述べる。
また、網野氏の著作を通じて「怪僧」という印象のある文観の性格も、太平記作者による印象操作の可能性を指摘する。
「異形」だったのはむしろ、時代を象徴した佐々木道誉ら、バサラな人々だった。
本書の最も興味深いところは、後醍醐について論じた部分より、後醍醐の親政の評価をめぐり、『大日本史』を編纂していた水戸学内部に葛藤が起き、明治から昭和にかけて吹き荒れた国体論の源流が生まれたという部分である。
例えば二・二六事件の際の将校たちを捉えていたのは、いわゆる平泉史学だが、その当時の平泉氏の著作を目にすることは簡単でない。
平泉史学が、一君万民的な認識を「日本」国家の本質だと考える名分論を柱としていたとすれば、磯部浅一の天皇親政論も、わかりやすい。
問題は、このような天皇親政論は、実際のところ完全に否定されたのか、今ひとつ確信が持てないところである。