読んでいてこんなに楽しい本に出会ったのは久しぶりだった。
五日市憲法発見者の著者による、同憲法とその周辺を記した本。
土蔵を開けていただいての史料調査は、自分にも思い出がある。
史料所蔵者の方にとって100パーセント「邪魔者」である若造を暖かく受け入れていただき、ひと息入れるときにはお家や地域にまつわるお話をしていただくことで、文書の光背に存在する地域の歴史がどんどんリアリティをもったものになる。
「あとでじっくり読み込もう」と思う史料がいくつも見つかると、気持ちが高ぶる。
かつて見たことがなかったほど重要だと思う史料に私も出会ったことがあるが、これをどう理解するか、早くも頭がフル回転する。
五日市憲法は、小学校教師だった千葉卓三郎が独学で書き上げたのではなく、五日市の知識欲に富んだ若い人々との学習会を土台として、彼がまとめたものであり、地域有志による共同作業の結晶である。
このような学習会はおそらく、全国のいたるところで開かれていたはずで、五日市憲法のような形でまとめられた学習の成果が、まだ埋もれているかもしれない。
同じ時期に秩父に存在した「法律研究会」や、北相木村の大竜寺で井出為吉らによって行われていた学習会などの記録が、今後も出てこないとは断言できない。
当時の人々は、教えられるのを待つのでなく、自ら書籍を求め、あるいは聴き、学び、論じて、自分たちの意見を形作っていった。
自由民権の時代(厳密にはそれよりやや前を含む)は、国民的な学びの時代だったのだが、その事実は、高校教科書には出てこない。
本書には、五日市憲法が一度は岩手県の遺族の手に渡り、その後再び五日市に戻されたらしいことを追跡している。
卓三郎亡きあと、この文書を見た人々は、これがたいへん重要な文書であることを認識していたのだろう。
千葉卓三郎は宮城県出身の青年だった。
彼がどのような思想的遍歴を経て五日市にたどり着いたのかについても、本書は追究している。
彼は戊辰戦争に従軍したあと、仙台で医学・漢籍などを学んだあと、東京に出てロシア正教・カトリック・プロテスタントを学ぶ。
キリスト教により自らのアイデンティティを確立しようとしたのだろう。
しかしおそらくそれによっては満たされず、職を得てたどり着いた五日市で、何らかのつながりによって、地域の人々とともに社会や国家のあり方に関する学習会を組織し、五日市憲法を書き上げるのである。
自由民権期は、列島の民衆が近代的な自己認識に自覚し始めた時代だった。
そういう感覚で、民権期をとらえたい。