日露戦争を描いた著名な小説。
日露戦争の経過と評価については、半藤一利『日露戦争史』(1-3)が詳細に論じている。
しかし『坂の上の雲』は1960年代末から1970年代にかけて書かれた作品である。
些末な点で史実や評価に齟齬があることは、作品の瑕疵にはならないだろう。
問題は、この戦争をどう見るかという点である。
朝鮮・満州にとって、日本もロシアも、侵略国だった。
著者は、日本が戦わなければ満州も朝鮮もロシアが領有することになり、樺太や北海道さえ危うかったと考えているようである。
著者のこのようなスタンスは、『翔ぶが如く』などにも一貫している。
客観的に見て、ロシアと日本のいずれが侵略的だったかといえば、「どっちもどっち」と言うしかないと思われるが、著者は「日本」が独立を維持し、ひとつの先進国として存在し続けることに価値をおいておられる。
この小説が書かれた当時は、「保守」「革新」のいずれの陣営も、そのことについては、異議なく肯定していたはずである。
21世紀も5分の1を過ぎた今、振り返るに、富国強兵によって独立を維持するのみならず、ひとつの先進国として列強の一員に加わったこと自体を批判的に振り返るべき時代になったと思っている。
昭和の陸海軍的発想を、著者は、厳しく糾弾しておられる。
明治時代にはまだ存在した自由さや合理的思考などを、味噌もクソも一緒に唾棄してはいけない。
歴史的観念論や一元論は、ていねいに批判しなくてはいけない。
この作品はそのように読むべきだと思う。