レイテ島の戦いについて、戦闘そのものでなく、その背景をなすフィリピン人と日本軍の関係に焦点を当てている。
1944年から45年にかけてレイテ戦が戦われた。
この戦いは、戦闘に参加した日本軍将兵の殆どが死ぬ壊滅的な敗北だった。
「大東亜共栄圏」の目的は、アメリカによる経済制裁により崩壊に瀕した「戦時体制」を弥縫するために東南アジアを支配圏に入れることだった。
「日本」が生きるための「自存自衛」の戦いだという主張は、まったく成り立たない。
アメリカは「日本」に無理難題を突きつけていたわけでなく、交渉の焦点は、中国からの日本の撤退すなわち中国侵略の停止だった。
当初の進撃でアメリカ軍を放逐し、フィリピンを占領した「日本」軍の統治方法は、中国におけるのと同じか、それよりさらに武断的だった。
「日本」の対外統治は、沖縄に始まり、台湾・朝鮮もそうだが、常に武断統治の形をとっている。
軍事力による抵抗の抑え込みが機能しなくなったのは日中戦争からだが、軍上層部は、なぜそうなるのかを分析すべきだった。
誇り高きフィリピンの人々に、武断統治は通用しなかった。
フィリピン人の多くがアメリカ軍と結んだゲリラや情報提供者となった。
日本軍に勝ち目はまったくなかった。
戦争の歴史をみるとき、地域住民から支持されているのはどちらだったかに注意する必要がある。
戊辰戦争時の「官軍」によるプロパガンダなど、そのいい例である。
本書はまた、「アイ シャル リターン」の言葉とともに語られるマッカーサーがフィリピンの利権と結びついていたことも指摘している。
アメリカは決して、フィリピンを幸福にしてはくれなかった。
フィリピンにとってアメリカは、経済的に収奪しようとする支配者だった。
「日本」は、歴史を学ばなかったのだろう。