機密解除された(と言っても今からすればずいぶん以前だが)東京裁判に関する国際検察局の史料から、裁判の準備から裁判過程を追った書。この巻では、国際検察局の設置に至る経緯から木戸幸一と田中隆吉の証言について、詳しく紹介している。
ニュルンベルクに準じた戦争犯罪追及は必至だったが、冷戦体制はすでに始まっており、アメリカは自国のペースでの裁判が実施できるよう、着々と手を打っていた。
開戦前後の経緯を知る近衛文麿の自殺は、裁判の流れを著しく阻害したと思われるが、同じ時期に天皇側近として政局を目撃した内大臣木戸幸一が取り調べに応じたことは、裁判の進展に寄与した。
木戸は多くを証言したが、彼の証言の核心部は、天皇の戦争責任についてだった。
天皇機関説的な立場に立てば、政策・作戦の決定権は事実上、統治権のトップたる内閣と統帥権のトップたる参謀本部・軍令部にあったはずで、国際連盟脱退・南部仏印進駐・開戦などにおける天皇の決定責任はさほど大きくない。
しかし、国体明徴以来、天皇機関説的な立場は国賊とまで言われて完全に否定されたはずで、例えば二・二六事件の際や終戦前の御前会議で、昭和天皇は独裁的な最高権力者として振る舞った。
昭和天皇は、「開戦のとき、自分は立憲君主として内閣の決定に従った(従って自分には開戦を避ける権限がなかった)」と述べ、「終戦のとき自分は自らの判断によってポツダム宣言受け入れを決めた(すなわち自分の判断で終戦を決めた)」と述べている。
これはご都合主義のように聞こえるが、木戸も同じように述べているから、おそらく概ねそのとおりなのである。
しかし、アメリカ人判事には、それは理解できない。
天皇を訴追しないというアメリカの根本方針がなければ、そこはさらに追及されただろう。
田中隆吉元兵務局長(陸軍少将)については、戦犯容疑者側から「裏切り者」扱いされており、証言を「謀略」とする見方もあるようだが、著者は、田中の証言内容について、記憶自体が曖昧な部分を除いてほぼ正確だと評価されている。
東京裁判自体が勝者による復讐だったのも事実である。
「日本」人が参加して行われるべきだという意見が当時あったと下巻に記されているが、そのようになっていれば、より説得力のある裁判になったと思われる。