対米交渉と国内の政治過程をていねいにたどることによって、開戦を決定するプロセスにどのような問題があったかについて、分析している。
政治的なものごとが決定される基本的原理が「理」ではなく、「力」であるということは、事実であろう。
支配階級にとっては、間違えば、植民地をすべて喪失するのみならず、固有の領土の確保さえおぼつかない上、国土は焦土化し、「国体」がどうなるかさえわからないという対米開戦という決定は、「理」によって考えた方が有効だったはずである。
「力」による決定をはかるには結局のところ、どこかで妥協点を見出すほかない。
議論の最終段階において、「落としどころを探る」のは、そのためである。
右に揺れ、左に揺れてきた議論をリセットするのは容易でない。
開戦の可否に関していうならば、たとえば、天皇には議論をリセットする権限があったわけだが、それを行使しなかった責任というのは、酷に過ぎる。
必要なのは、議論の参加者が「理」に立ち戻ることが志向されていることだっただろう。
決定システムの不透明さは、現在も変わらない。
最も大きな問題は、そこだろう。