若いときに読んだのだが、読み直そうと思ったら、本の所在がわからなくなっていたので、買い直して再読。
スペイン内戦当時の、反ファシスト陣営において、政府内のコミュニストたちが主導して、トロツキスト(と呼ばれた)グループを法に基づくことなく逮捕・殺害した事実を淡々と描いている。
スペイン内乱の際、国際旅団という名の多国籍義勇軍が組織されたことの歴史的意義については、現状では、しっかりした見解を持てていない。
スペインのことはスペイン人が決めるべきだという建前に立てば、この義勇軍は内政干渉であるとも言えるし、反乱軍がドイツ・イタリアによって公然たる武力支援を受けていた事実を想起すれば、反ファシズムの国際的な連帯のあらわれというべきかもしれない。
オーウェルが参加したのは国際旅団でなく、マルクス主義統一労働党(POUM)指導下にあるカタロニアの民兵組織だった。
彼は、1937年5月のバルセロナ市街戦に遭遇し、前線に復帰したのち負傷してバルセロナへ戻った途端に、政府によるPOUM弾圧に直面した。
幸運にもオーウェルは捕まることなくスペインを脱出したが、スペインに留まり粛清された人々も少なくなかった。
スペインのこのような事態を引き起こした原因が、社会主義的な改革を直ちに始めようとするPOUMのやり方は、広範な人民を結集するというコミンテルンの戦術と相いれないと考えられたからだろう。
しかしそれは、POUMを弾圧し虐殺する理由にはならない。
なぜなら内戦は終わっておらず、もっとも重要なのはファシストと戦うことだったからである。
人民戦線政府の一角を占めたコミュニストたちが、あるいはコミュニストでなくてもソ連による武器援助を必要としていた人々が、コミンテルンすなわちスターリンの影響下にあったことは、じつに不幸だった。
ファシストと闘おうとする一方の陣営が、猜疑心・謀略・暴力の塊のような人間・組織に支配されていたのだった。
オーウェルの属したカタロニア民兵組織は、未熟ではあるが、純朴で可能性に満ちた軍隊だった。
フランコ(及びヒトラーとムッソリーニ)とスターリンによってカタロニアの可能性が摘み取られた事実が、哀しみをもって記されている。