いわゆるノモンハン事件の経過を独ソ不可侵条約と絡ませながら描いた書。
ノモンハン事件は、当時の「満州国」とモンゴル人民共和国の国境地帯で起きた国境紛争だが、事実上の当事国はもちろん、「日本」とソ連だった。
天皇・政府は当然として、参謀本部も紛争の拡大には批判的だったが、関東軍は、さまざまに口実を設けてモンゴル領土に侵攻し、事態を深刻化させた。
当時の関東軍には、コンプライアンスは存在しないも同然だった。
事件の全容を詳述した本書にも、関東軍が無価値で僅かな半砂漠草原を領有するために、多大な軍事力を投入したのかは、明言されていない。
ハルハ川東岸には、なんの価値もない。
とすれば、作戦は国境紛争でなく、別の目的をもって企図されたと言わざるをえない。
考えうるのは、モンゴル領内に橋頭堡を築くことで満州国の安全を図り、いずれはモンゴル・シベリアへの進出の足がかりにしようとしたことくらいだろう。
北進論と呼ばれるこの議論は帝国陸軍内に鬱勃として存在していたらしいが、その戦略的メリットが今ひとつ、理解しがたい。
だからこの論は、「日本」の主流になりえなかった。
作戦全体が非現実的で、妄想の産物に近かったことは、本書に詳しい。
事実だけ言えば、17000人以上の戦死傷者を出して、得たものは何一つなかった。
せめて作戦上の問題点をきっちり洗い出し後日の誤りなきを期したのならばともかく、それさえ行われず、作戦立案の責任・統帥権無視の責任もほとんど問われなかった。
つまり、学んだことも何もなかった。
これでは、犠牲になった人々が報われない。
この戦争のさなかにスターリンは、独ソ不可侵条約を結んだ。
スターリンにこの条約を結ばせた背景に、「日本」によるシベリア侵略が現実化しつつあった情勢があったといえそうだ。