本の帯に「昭和19年4月1日、私がセブ島で捕らえたゼネラルは『俺は海軍のボスだ』と親指を立てた。そして彼は自分が『コガ』であるとはっきり認めた」などと、センセーショナルなことが書いてある。
連合艦隊司令長官古賀峯一は、いわゆる「海軍乙事件」の際に殉職したことになっているのだが、上の惹句はあたかも古賀長官がアメリカ軍に協力していたゲリラ兵の捕虜になったかのような印象を与える。
古賀長官が実は死んでいないというガセ情報は話としては、面白いかもしれないが、前後関係から見てあり得ない。
捕虜になったのは連合艦隊参謀長だった福留繁である。
参謀長が捕虜になったのみならず、海軍の最高機密を記した書類を紛失(結果的にそれはアメリカ軍の手に渡った)したというのは、帝国海軍としてはとてつもない不祥事といえる。
長官と参謀長の乗った二機の飛行艇が墜落した原因は、悪天による遭難だった。
古賀長官に非はないのだが、彼は戦死扱いされなかった。これは古賀にとってはなはだ不名誉なことだった。
福留参謀長についても同じことが言えるのだが、彼の場合は敵の捕虜になってしまい、結果的に、機密書類を敵に渡してしまった。
参謀長にもまた非がないと言えないこともないが、当時の帝国海軍の将官は、沈没する船とともに沈むことが強制されていたほどであり、捕虜になって生還するなど、まして機密書類を奪われるなど、到底ありえないほど恥ずべき事態だった。
福留が軍法会議にかけられることもなく、帰国後も第一線で特攻作戦などの指揮に当たったのは、あまりの不祥事に処分不能だったからだろう。
兵士を処刑するのは簡単だが、将官にはそれができないのが、帝国陸海軍だった。
これが実情なのだから、天皇の責任追及など、まずありえない。
惹句に反して本書はこの事件について深く追究したものではなく、後半は海軍報道班員がいかに苦労したかの回顧談である。
乙事件の核心は、福留の問題だろう。
彼は戦後、戦犯として服役した後、再軍備推進のために働いたという。