小倉寛太郎氏の戦争観・労働組合論。
良心は人間にとって人格の核心をなす部分である。
良心を破壊するのはポストすなわち権力ではないかと以前に書いた。
権力の頂点を極めてしまえば恐れるものはないはずなのに、一国の首相がヘラヘラと嘘をつくのは、彼が誰かに支配されているからだろう。
著者は、サバンナの動物たちを見ることによって、人間の小ささを知ったらしい。
まさにそのとおりで、進化論が生き物の変化を「発展」の概念によって把握し、ヒトを生き物の最高形態であるごとく位置づけ、それが近代科学によって疑いない真理とされてきたことに問題があったといえる。
このような発展思想のバックボーンに、神が自分に似せて人間を作ったという、聖書の人間観が存在したことはいうまでもない。
小さな生き物(人間のこと)が自然の支配者になど、なれるはずがない。
小さな生き物は永遠に、小さな生き物として行きていくしかない。
というより、小さな生き物であることを突き詰めていくのが、じつは最大の成功戦略だったりする。
良心は、小さな生き物としての人間の核心部分である。
ここが腐らせたら人間として駄目になってしまう、と著者は述べているように思う。
生き物は、どんな偉い学者より雄弁に、人間のあるべき姿を示唆している。