昭和期の戦争を指導した30名近い将官・将校のプロフィール。
一人あたりのページ数は多くないが、主要人物はすべて網羅されているので、満州事変から敗戦に至る戦争指導の裏面を知ることができる。
戦争自体を悪と考える立場の人にとって、戦争指導の良し悪しなど無意味かもしれない。
また、著者はそういう立場でないので、人によって気に触る表現もあるかもしれないが、実際の局面局面においては、その人の考え方や戦争指導の巧拙は、非常に問題になるのは、事実である。
いくつか考えさせられたことをノートする。
大正末から昭和初期にかけて、陸軍・海軍とも、内部で路線闘争が起きた。
陸軍における「皇道派」と「統制派」の対立は、永田鉄山斬殺事件を見たわけだが、大陸方面で「日本」の領土や利権を拡張するという路線について根本において決定的な違いがあったわけではない。
基本的に陸軍は、軍人特有というか、冷静でない人間特有のイケイケ路線だったようだ。
主たる敵がソ連と中国(現実には中国)だったために、戦えば勝てるという驕りがあったのかもしれない。
海軍はやや様相を異にしていて、「艦隊派」と「条約派」のうち、イケイケの「艦隊派」に対して、「条約派」は非戦論的な部分を帯びる。
ここではアメリカが仮想敵になるので、必敗の現実を見ないわけにはいかない。
そんな中でなお、イケイケ派が存在したのだから、海軍もまた、現実をしっかり見ていたとはいえなかった。
必敗の戦争へと軍をミスリードしていった実働部隊は、中堅将校だった。
彼らをしっかり制御する力のある将官がいなかったのか、システム的に制御できなかったのかは、非常に重要なテーマだろう。
戦争は人の命を消耗する。
指導者にとって、作戦の失敗は一つのミスだが、数十・数百・数千という命が戦場で失われる。
戦争指導におけるミスの責任を問うシステムを作るは難しいかもしれないが、それで死なねばならなかった兵にとっては、たまったものではない。
それら将校たちの思想について、もっと知りたい。
昭和初年に政党政治が潰されていった時期に、陸海軍過激派を支えた思想の一つが平泉史学だった。
戦後に書かれた平泉の日本史概説を読む限り、多くの人々を惹きつける内容があったとは思えない。
これらについても、学ぶ必要を感じる。