丸山眞男と田中角栄の言動を通して戦後精神とは何かをあぶり出した対談。
戦前と戦後の社会において、変わったものと変わらなかったものが存在する。
変わったものの中で重要なのは、戦前社会の課題を戦後が克服したもろもろの点だろう。
観念的な思想は、それ自体として面白い部分も多いし、意味もないわけではないと思うが、時代をもっとも象徴的に表現する思想ではない。
二人の論者は、社会の現実に根ざした思想を求めた結果、丸山と田中を戦後の象徴と措定する。
丸山は、戦後「日本」の理性を代表する思想家である。
彼は、戦前「日本」を支配した思想を切り分けて、その克服の道を示そうとした。
彼はまた、現実と切り結ぶ諸思想とも、緊張感をもって接していた。
観念で現実を切ることはできず、現実の中から理念を叩き上げようとした。
丸山思想の根底には、学生時代の投獄体験や二等兵としての戦争体験があると、対談者たちは指摘する。
一方田中は、道路を建設することによって、都市に対する農村の復権に尽力する。
「費用対効果」という発想は、都市民(消費民)だけの視点から社会を見ようとする(従って全体が決して見えない)ものだが、田中は権力を駆使して、農村復権を闘う。
農村復権は、限りなくリアルな課題であり、観念によって動かせるものではない。
国家による戦争は、きわめて観念的な動機から開始される。
民衆生活の中に戦争の必然はカケラも存在しない。
だから、田中の発想の中にも、戦争などは存在しない。
観念の政治から現実を変える政治へと転換させたのが、田中角栄だった。
田中の行動原理の根底にも、二等兵としての従軍体験があったと、対談者たちはいう。
「国民」と激しく緊張しつつも、平和を維持し、生活を向上させてきたのは、歴代保守政権だった。
今、「改革」の名のもとに、それと真逆の政治が行われつつある。
各種の議論は、暮らしの現実に立脚するものでなく、観念的な言葉の遊び・ゴマカシが主流のような気がする。
「戦後」に終止符を打とうとする「日本」の社会が、これからどこへ向かおうとしているのか。
とても興味深い時代でもある。