主として記紀に依拠しつつ、「継体天皇」前後の時代を描いた書。
記紀をしっかり読み込むことによってある部分は捏造や誇張であり、ある部分は史実だろうと推測する史眼を磨くことは、ある程度は可能だろうが、本書を読んでいると、記紀から自由にならない限り、天武以前の古代史を自由に構想することはできないことが痛感される。
天武の記紀編纂(命令の)意図は、天皇の地位はその一族によって連綿と継続されてきたことを証するためである。
史実がそうでなかった場合、編者は、史実を捏造しなければならず、捏造された歴史は、どこかに不自然たらざるをえない。
武烈の死によって仁徳系大王が廃絶したあと、擁立されたとされているのが応神「五世の孫」である継体である。
応神が実在したとして、五世代の間にその子孫は無数に存在しただろう。
その中から、継体が大王に推戴された理由はなんなのか。
著者は、継体のそれを「人脈」に求めているが、説得力があるとは思えない。
それは記紀に依存して考えているからではないかと思う。
著者は、雄略の時代ころを「天皇」が専制権力を持った時代、その後地方豪族の自立が進んだ時代、継体の時代は中央豪族の合議制が確立した時代と特徴づけている。
大王の地位が、豪族たちによって大王一族の中から共立されてきたのは事実だろう。
しかし、雄略時代が専制権力時代だったというのは思い込みでしかない。
大王の地位は、権力欲を満たせるものと限らなかったと思われるから、「やりたい人」がいないケースもありえただろう。
継体が大王位の簒奪者だという説もあるが、実際のところはどうなのか。
継体時代の大事件である「磐井の反乱」については、ヤマト政権の事情から説明しているが、東アジア全体の動きの中で列島の諸事件を説明する松本清張氏の叙述などと比べてしまうから、本書は、記紀の思考の枠内部で妄想された感を拭いがたい。
記紀は天武の仕掛けた罠だという前提で読まないと、史実を探る以前に思考の枠をはめられてしまい、真実をあらかじめ除外して推察することになる。
これでは近年、歴史修正主義史観の手法にハマるのとおんなじことになる。
歴史探求に必要なのは、まずは自由な精神である。