清張通史の最終巻。内容的には、奈良時代の政治史が中心である。
『続日本記』の叙述は奈良時代の権力闘争史にすぎないので、それは日本列島のごく一部の歴史でしかない。
ともあれ、清張氏のこの巻は、権力闘争史を氏独自の史観から分析している。
この巻のキーパーソンは、光明子と孝謙の母子である。
彼女らは、ほほ同時代の則天武后になぞらえられるが、彼女ら自身(特に光明子)が玄昉や吉備真備らから則天武后の事績を聞かされて自ら則天武后をめざしたと推察する。
清張氏は、「日本史」が聖武の事績と呼んでいることどもの多くは、光明子によると考える。
たしかにそのように考えたほうが、納得がいく。
もう一つは、玄昉が権力に食い込んだ要因として、聖武の母・光明子の姉である宮子と懇ろの関係になったという推察である。
清張氏はまた、玄昉と光明子との関係も疑っている。
道鏡と孝謙との関係はよく指摘されるが、玄昉と宮子・光明子の関係についてはっきり述べた史書は、あまり見ない。
ことに玄昉が禁中の奥深く出入りできたのは、唐で入手した麻薬を含む薬物を宮子に与えて、彼女のうつ症状を改善できたからではないかという推察は、説得力がある。
これらについて明確に述べた文献史料があるわけではなく、歴史としては、状況証拠と推察による叙述になる。
それは歴史学ではないと言われるかもしれないが、文献史学は、捏造の可能性が高い史料に依存して記述されている。
松本史学の自由闊達で説得力のある叙述のほうがよほど、読んで知的興味をそそる歴史である。