有機農業のノウハウを詳述した本。
大学の先生が書かれた本だから、有機農業の理念を語っているのかと思って読んだら、そうではなかった。
自分の農作業は、有機無農薬農業と言われるものに近いと思うが、その理念に共感してやってるわけでないので、「有機」「無農薬」原理主義者ではない。
化学肥料は長いこと使ったことがないが、農薬は、そら豆に大量発生したアブラムシ対策と白菜植えつけ当初のコオロギ対策に使った。
そしたら本書には、そら豆のアブラムシは、栄養ストレスが原因だと書いてあった。
どこかに問題があったのだろうが、たしか早春になってから一度、追肥した記憶がある。
元肥を少なめにした上で、追肥などしない方がよかったのかもしれない。
コオロギ対策は、薬散以外にどうしようもないんじゃなかろうか。
肥料については、じつは手探り状態で、よくわかっていない。
使っている金肥は、鶏糞のみである。
畑に生えた雑草は、基本的に生のまま埋めている。
台所ゴミも畑に埋める。
これらは季節により速い遅いはあるが、いずれ土に帰る。
それ以外に落ち葉で作った腐葉土を土に混ぜている。
腐葉土もすぐに消滅してしまう。
本書においてもっとも衝撃的だったのは、「食味と収穫量は反比例する」というテーゼである。
多収を求めるのは、農に携わる人の性だろう。
おそらく農という営為が始まって以来、人は多収を求めてきた。
そのための試行錯誤が現在の農作物を作ってきたと行っても過言ではなかろう。
このテーゼは、それを否定しているのか。
おそらくそうではなく、かつて東南アジアで一世を風靡した「緑の革命」のような、度の過ぎた多収の追求を戒めているのだと思われる。
耕地のキャパシティに相応した収穫量というものがある。
「より多くの収穫をめざす」ことによって、耕地の生態系に無理がかかる。
生態系のひずみを矯正するために、遺伝子操作を始めとした人為が加えられ、耕地の環境はさらに歪められて、復元も困難となる。
何かの物質を投下したり、作物自体に改変を加えたりするのではなく、江戸時代の人々が行っていたように、その耕地に適した作物を、手をかけつつ、試行錯誤を続けながら育てていくのが、理想なのだろう。