推理小説家が書いた壬申の乱。
乙巳の変から壬申の乱にかけての時期に関する史料はほぼ、『日本書紀』のみである。
だから、「大化の改新」や「壬申の乱」などに関連する諸事実の真偽や意味については、『書紀』の記述をどう解釈するかに依存するしかない。
だから歴史を解釈するのが歴史家であれ小説家であれ、研究史を踏まえた上で想像するしかないのである。
著者は著名な作家だが、研究の方法は歴史家と同じ手続きを踏まれている。
本書は、壬申の乱は大海人皇子(のちの天武)による皇位簒奪の内乱であるとしている。
自分の行動を正しいものと描くのを目的として天武が書かせたものである以上、大友皇子が即位したという記述が『書紀』に存在しないのは当然である。
この内乱は、大海人皇子と大友皇子による権力闘争だった。
おおむね間違いないのは、当時の「正統」政府である近江朝の後継者を大海人が武力によって打倒したものだということだけだろう。
天智と天武をめぐる姻戚関係をみていくと、彼らが本当に兄弟だったのかについても、疑ってみる必要があるようにさえ思う。
天武の実像に比して、持統の肖像はかなりはっきりしている印象がある。
持統は、藤原不比等とともに、天武亡きあとのヤマト政権を担い、中央集権化の基礎固めを行うとともに、自分の直系以外の有資格者を謀略によって次々に排除していった。
不比等と持統のどちらがヘゲモニーをとったかは今ひとつ不明だが、ヤマト政権にとって彼女の時代は権力構造を確立する、重要な時代だった。
この時代はいわゆる白鳳文化が開花した時代である。
絢爛豪華で造形美の極致とも思える白鳳美術は、天武・持統たちの権力を荘厳するとともに、彼ら自身の救済のために、財力と権力を駆使して創造された。
そのようなものとして見たときに、これらの作品群のどのような面が見えてくるだろうか。