微笑する荒彫りの仏像の作者といえば円空を想起するが、甲州に木喰行道とその弟子の木食白道がいる。
本書は、史料の少ない白道の評伝である。
円空・行道・白道らは、造物を生業とする仏師ではなく、諸国を旅しつつ木彫の仏像・神像を各地に残した遊行僧である。
江戸時代の仏教は、寺檀制度の末端として、支配機構の一部と化しており、悩める人びとの魂の救済という意味での宗教としての機能を果たしてはいなかった。
神道は支配機構の一部ではなかったが、魂の救済よりも、現世利益を導くものと考えられていた。
修験者は、自らの霊的能力を磨く一方で、心や身体を病む人々を対症療法的に救う機能を果たしていた。
人びとの魂の救済をめざすまともな宗教は、存在しなかった。
ここに、江戸時代中期以降、新しい宗教が叢生する背景があった。
心の拠りどころとしての仏像・神像を刻みだして供養し人々に提供するという行為によって自らをも磨こうとしたのが、彼ら遊行の造仏僧たちだったのだろう。
彼らは、旅先で出会う無数の人々へ献身することによって、自分の人生を完成させようとした。
行道・白道は、「木食」すなわち一般人並みの食事を断つ人生を送り、最後は食そのものを断って入定(餓死)しようとした。
このように生きたのは、彼らだけではなく、富士講の身禄もそうであり、ことさら珍しいわけではない。
こうした行為の底には、生きとし生ける動植物を(殺して)食べることによってしか生きられない、命そのものの持つ犯罪性を昇華しようとする意識が存在した。
彼らは、命の不条理を見据えてはいるが、顔をひきつらせ目を血走らせていたわけではない。
彼らが刻みだした諸像は、現世に生きるごく普通の人々の心が穏やかであるようにという祈りが込められている。
「日本」人の思想の高みは、このようなところにあるのではないかと思う。