大血川は、魚は多い割にスレていて、なかなか釣れないが、通い慣れた川だ。
主人公が、大血川の崖下で生まれたことになっているから、この小説を読んでちょっと驚いた。
物語の主舞台は、奥秩父でなく、葛城山脈の二上山一帯である。
二上山も葛城山も金剛山も、多少の土地勘があるので、イメージをふくらませながら読むことができた。
この列島にかつて暮らしていた浪民集団を描いた作品である。
史実から自由でありえない歴史家とは異なり、小説家の筆力は奔放自由で、本を閉じさせない。
一所不住を基本とし、国家による住民登録から自由だった人々が、かつて存在した。
彼らは、国家による保護を受けることができなかったが、貢納や苦役など、国家による強制からは自由だった。
彼には一般民の周縁で暮らしつつ、まさに「自己責任」で生きていた。
彼らは自然にある程度依存した生活をしていたが、自給自足だったわけではない。
とはいえ、自然なしでは暮らしが成り立たなかったのは事実である。
そのあたりをこの小説は、テーマの一つにしている。
この小説で、「ケンシ」を自称する彼ら浪民の聖地は、二上山ということになっている。
二上山の麓に位置する当麻寺周辺の街には、独特の雰囲気がある。
浪民の聖地という設定が的を射ているかどうかはわからないが、大和盆地と大王の眠る河内の平野(古代にはおそらく大阪湾まで一望できただろう)をふたつながら見下ろすこのピークは、地政学的に重要な位置にある。
貴いものが存在するから卑しいものが存在しなればならなくなる。
歴史的な雰囲気を考えれば、まずまず興趣をそそる設定だと思う。
現在の二上山は、地権者がハイカーに金銭を要求するおかしな山だ。
もう少し心安らかに二上山を歩いてみたい。