蓮如の生涯と思想をコンパクトにまとめた本だが、著者自身は伝記というほどの著作ではないと断っている。
日蓮宗や浄土真宗など鎌倉新仏教は、仏教の一派ではあるが、釈迦の思想を換骨奪胎して体系化した新しい宗教だった。
親鸞の教えもまた深遠であって、象徴的な比喩を駆使して本質をズバリ述べる語り口は、イエスに通じるところがある。
しかし浄土真宗もまた、時間の経過とともに教義が形骸化し、宗教屋に堕していく。
形式教化しつつあった真宗教団を強固な信仰組織に叩きなおしたのが、蓮如だった。
形式に堕せば、親鸞の思想は意味を失う。
教団という組織そのものがひとつの形式だから、教団形成をめざす時点で教義は根本矛盾にぶつかることになるのだが、蓮如が北陸・東海への布教活動を展開した時期は、惣村が形成される時期と重なっており、真宗信仰は村の精神的紐帯として機能した。
本書にはあまり書かれていないが、晩年の蓮如は壮年期の彼が否定したような存在だったかもしれない。
しかし、教団組織はすでに、蓮如個人を乗り越える組織に成長していた。
16世紀の列島は、戦国大名という地域権力がヘゲモニー争いを展開した時代だったのだが、大きく言えば、武士権力と、本願寺を指導者とする百姓自治との決戦の時代だった。
百姓自治と徹底的に対決することなしに、武士権力を制することは不可能だった。
一切の妥協を排して百姓自治を壊滅させようとした織田信長(とその後継者の豊臣秀吉)が、ヘゲモニー争いを制したのだった。