国家の定めた身分の体系の外で生きていた人々(マージナル・マン)の存在と役割についての対談。
マージナル・マンは列島における国家形成の初期から存在した。
征服者である初期国家の指導者たちは、先住民を「土蜘蛛」「長脛彦」「国栖」等と蔑称して支配しようとした。
服従するまでの彼らは、マージナル・マンだった。
その後、国家秩序が再構築される都度、マージナル・マンが生みだされた。
平安時代には、山伏・遊女・各種行商人・漁民・各種遊芸民などが国家の支配を受けず、諸国を徘徊した。
この中で山伏は、治承の騒乱で決定的な役割を果たしたとも言われる。
このような人々は、時代が下るにつれて種類を増し、社会のどこかで存在して、社会が機能する上で必要な役割を果たしてきた。
江戸時代は、宗門人別帳により、たてまえの上では全民衆を把握したことにになっている。
権力によって賤民身分が位置づけられ、被差別民も人別帳に登載された。
それでも新たなマージナル・マンの発生は続いた。
沖浦氏は、サンカ・家船などの漂泊民は、幕末以降に発生したと推定されている。
これは、これら漂泊民の起源について、もっとも説得力のある見解である。
文字を残さないマージナル・マンの歴史は、海や山のように裾野が広い。
それに思いを致せば、文字に残った歴史のせまさやセコさが情けない。
この列島に命を紡いだ無名の人びとの歴史こそ、悠久である。
奸計と裏切りの連続にすぎない支配者の歴史に学ぶべき価値など、ろくにありはしない。