1950年代の政治家としての石橋湛山の言行を論評した書。
1950年代後半は、保守政治の流れにとっても、ひとつの分岐点だったようだ。
石橋湛山は、大正デモクラシーの時代以来、「日本」の著名なジャーナリストではおそらく唯一、戦争と平和に関しまっとうな議論を展開し続けてきた人物である。
彼は、戦後、保守の立場から政治家になり、1950年代には、政権党の中枢で発言するようになった。
1950年代は、「独立」を果たした「日本」が西側軍事同盟に加入するかどうかの分岐点だったし、戦前的な人脈や価値観が保守本流で復活するかどうかの分岐点でもあった。
占領時代にアメリカとの関係を深めた旧時代の支配層は、アメリカの顔色をうかがいながら戦前的アイデンティティの部分的復権をはかりつつあった。
その代表的政治家が吉田茂だった。
岸信介はその発展形であろう。
彼は、「日本」をアメリカの軍事的配下に組み込むことと引き換えに、戦前的アイデンティティのさらなる復権をはかろうとした政治家だった。
一方この時代には、アジア侵略とファシズム支配からの決別が「日本」の生き方だと考える保守政治家たちも健在だったのであり、その代表格が石橋湛山だった。
彼は、1910年代以来反侵略の立場を主張してきた筋金入りの論客だった。
政治は妥協の世界だから、湛山も多くの政治的妥協を重ねただろうが、彼の基本的スタンスはほぼ一貫して変わっていない。
保守の立場にとっても、反侵略・反ファシズムは多くの「西側」諸国において、基本的価値観だった。
それは、第二次世界大戦をへた人類の共通の認識だった。(「社会主義国」は反侵略・反ファシズムの視点を軽視していた感がある)
従って、湛山的保守思想は、何ら特筆されるべきものでない。
むしろ湛山の後に、ファシスト岸が首相になったことが世界の趨勢からすれば、異常な事態だった。
湛山以後にも、保守陣営内の反侵略・反ファシズムの流れはおおむね健在だった。
それがおかしくなり始めたのは、1980年代後半以降ではないかと思う。
2000年代以降、ま自民党の中のともな保守派は、ほぼ絶滅した状況である。
系譜的に民主党内の保守派へ、そのようなスタンスは受け継がれているが、彼らに確固たる理念・信念があるようには見えない。