戦前に四尾連湖のほとりで独居した詩人・野澤一の詩と解説。
野澤はソローに憧れて四尾連湖での暮らしに入ったらしい。
反文明というスタンスには、根拠があると思う。
文明が人間と自然を損なうものだということは明らかだから。
しかしその考えは、じつはちっとも目新しくはない。
またソローを紐解かねばならないほど、宏遠な思想でもない。
この列島では、木喰という実践によって人間という反自然を否定する実践が、名もなき思想家たちによって、営々と続けられてきた。
彼ら目的は自然の一環としての自己を完結させること以外になかったから、自分が到達した認識を他者に伝える必要を感じなかった。
だから残念ながら、木喰や修験に経巻は存在しない。
野澤の独居は、なにぶんにも観念的な形で行われた。
木喰は静かに、できれば誰にも知られずに消えていくことを目標としていただろうが、野澤は、不特定多数に読まれることを想定して詩を書いた。
野澤自身も、その点を自覚していた。
文をなし詩稿を綴る時
心の髄に感ずる事は
われこそはと云へる
この意識の果敢なき誇である
而し古の賢者には之がない
それは
万目荒涼たる謙遜が
こころよく細々として
古の大道に美しいからである
「衷心の墓碑銘」
観念的であっても、野澤の詩には、「万目荒涼たる謙遜」が滲んでいる。
その音色は現代人にも、十分美しい。