熊谷直実の生き方を実証的にあとづけた書。
中世武士の中で熊谷直実の生き方はわかりやすく、時代を知るよいテキストになる。
源氏・平氏・源氏と自らの主君を変えたのは、父直貞以来ようやく獲得した小さな所領を維持するには、勝てる主君に連なる必要があったためであるし、先陣を争うあまり、一の谷で夜半から名乗りをあげ続けたのも、所領を安堵してもらうためのパフォーマンスにほかならない。
敦盛の首級をあげ「青葉の笛」に涙した一件は、物語としてどこまで潤色されたものかわからないが、ある程度は事実なのだろう。
若い敦盛を殺したことで武士の虚しさが身にしみ、のちに出家したという説明も、話としては、できすぎのように思う。
直実出家の背景としてはっきりしているのは、平安時代末期から鎌倉時代初めの時期に、浄土思想が広範な人々の心を捉えていたということである。
1187(文治3)年に起きた、流鏑馬的立て役を直実が拒否したという事件については、かつて読んだ直実伝になかった論点である。
出身階層に差があっても、頼朝の前では、すべての御家人が頼朝に仕える同輩であるという論理は、直実にとっても頼朝にとっても重要だった。
にもかかわらず頼朝がそれを否定したと直実は受け止めて憤って、頼朝に対し無礼な行動をとり、頼朝もやむなく直実を処分した、と著者は述べておられる。
功績ある家臣を冷酷無残に切り捨てる印象のあった源頼朝の、熊谷直実に対する寛容さは、一見不思議である。
彼の軍団編成の論理がそのようなものだったことを、改めて認識した。
直実改め蓮生法師は、驚くべき奇瑞を伴いつつ往生したと伝えられている。
これはどう考えても、荒唐無稽な作り話だと思うのだが、本書ではあえて強く否定してはいない。