城南信用金庫の理事長である著者が脱原発を熱く語った書。
市民運動家や学者による原発批判ではなく、金融業に携わる経済人が信用金庫の経営と原発容認とが相容れないことを論理的に述べられている点で、じつに得心が行く。
原発が、地域のみならず国家さえ壊滅させかねないリスキーなシロモノであるのは当然として、企業家からみても、運転にともなって必ず発生する放射性廃棄物の処理費用や、未だ手順さえ明確でない廃炉に関わる費用、さらには事故が起きた際の補償費用などを含めれば、ひどく割高な発電方法てあることは、かなり知れ渡った事実である。
国と電力会社は、上記の諸費用を意図的に落とした発電コストの宣伝に努めているし、原発が止まっているから電力料金を上げざるを得ないという説明はいやというほど聞かされているから、そんなものかと思う人も多いだろう。
なんであれ、ものごとはトータルに考えて意味をなすのだが、瞬間的な損益判断に立っていたのでは、経営は成り立たない。
著者は本書で、信用金庫という業種の何たるかについて、ていねいに説明しておられる。
ここはたいへん勉強になる部分である。
著者によれば、信用金庫は、地域の中小企業を育て地域の繁栄をめざす金融業であり、利を求める銀行業とは全く異なるとのことである。
長期的に見れば採算割れ確実な事業である原発と、そうした経営理念とは相容れない。
原発を作らせている利権集団は、「原子力ムラ」などと呼ばれる。
利権集団の行動を規定するモチーフは、カネである。
著者はまた、人にとってカネとは何かについても、深く分析されている。
カネがあって人が生きるのでなく、人の暮らしを助けるためにカネが必要になるのである。
本書には、加藤寛氏や小泉純一郎氏など、原発に将来性がなく、代替エネルギーに大きなビジネスチャンスを見る点で認識を共有できる体制側の方々も登場する。
「原子力ムラ」の肩車に乗った政権は、力技で原発復権へ向かおうとしている。
フクシマの低線量地域への住民帰還を進める一方で、放射線への警鐘を鳴らす人びとを、「風評被害」をまき散らす非国民視する風潮も作られていくだろう。
正念場はまだ、続いている。