著者が、学問の方法を語った書。
『マングローブの沼地で』などを読むと、著者が書斎学を軽視してなどいないことが理解できるのだが、本書には、歩く学問の重要性を力説している。
しかし、単に歩くだけで知が得られるわけではない。
思うに、著者の(宮本常一氏などにも共通するのだが)コミュニケーション能力やバックグラウンド知識の豊富さがあって、フイールドで得られる知が意味を持つのだろう。
進歩のメルクマールとして著者は、「社会の運営にどこまで民衆の意思が通るか」を設定する。
書斎学者や観念論者は、制度が全てと考えて疑わないだろうが、制度と現実はかけ離れているのが通常である。
戦国時代の民衆は、「逃散」という抵抗形態をしばしば使った。
武力抵抗も逃散もいずれも、一揆という点で、全く同次元の闘いだったはずだが、唯物史観は、武力抵抗の方を、より重要視していたように思う。
アジアの問題を考えるということは、「日本」人たる自分の暮らしを見つめることでなければならないとも、著者は述べている。
「日本」の暮らしは明らかに異常である。
『地球家族 世界三十か国のふつうの暮らし』(TOTO出版)という写真集は、各国の人びがどのような家財道具を所有しているかがわかる本である。
「日本」人ほど、持てる民はいない。
そして「日本」人ほど、何でもかんでも買う民もいないのではないか。
「日本」人もそろそろ、普通の暮らしに戻るべきではないか。
学問の方法というにとどまらない、さまざまな問題提起が、この本には仕込んであるように見える。