1979年当時と重ねあわせて見た、2000年ソウルの印象記。
1979年は冷戦のさなかで、韓国では、理不尽な独裁政治・恐怖政治が行われていた。
韓国はその後、経済的な高度成長を体験し、冷戦の崩壊を経て(問題は残っているにせよ)民主主義国家に生まれ変わった。
かつてはおそらく、街の辻々に秘密警察の目が光っており、体制に不満を持つものや民主主義的な考えの持ち主をチェックしていただろうが、その後の韓国は、老若がなんの懸念もなく普通に語り合いながら通りを歩くことのできる、「普通の国」になった。
韓国は豊かになり、明るい国になった。
為政者は、国民の声に耳を傾けるようになった。
現状を見るなら、「日本」よりずっと民主主義が生きていると思える。
しかし、光があるから影ができる。
グローバル化への道を突き進む韓国で、伝統文化はどのように受け継がれていくのか。
金大中のノーベル賞受賞は、「国民」全体から慶賀されたのだろうか。
「日本」でも「暴動」と報道された光州事件が名誉回復された今、人々はあの事件をどのように記憶していくのだろうか。
従軍慰安婦への正式な謝罪と補償を拒み続ける「日本」への糾弾は、若い世代にどのように受け止められていくのだろうか。
階級闘争史観ではすくい取られることのない社会の陰影に著者の目が注がれている。