1954年に歴史を学ぶ学生たちによって集団執筆された加波山事件の復刻版である。
明治17年の自由党は、政府の抑圧政策によって、分裂含みの混迷の渦中にあった。
合法的な言論戦によって国民の多数意見を占め国会開設をめざそうとする党指導部の戦略は、明確な展望をきりひらくことができず、行き詰まりつつあった。
非合法路線には二つの流れがあった。
一つは、多衆の武力蜂起によって政府を軍事的に転覆しようとする路線である。
この路線を指向する人々の視野には、松方デフレに苦しむ民衆の姿がとらえられつつあった。
もう一つは、政府の要人を暗殺することによって事態を流動化させ、政府転覆へとつなげていこうとする路線である。
この一派には福島・喜多方事件で処刑・投獄された人々のゆかりの人々で、弾圧への復讐をねらう人々も含まれていた。
二つの非合法路線は交錯することはあっても、それが一つに集約されることはなく、非合法路線には腰の引けた党指導部とも統一的な動きを作り出すことができない状態だった。
以上が、加波山事件に関する一般的な理解だと思うが、路線的には三つに分裂したように見えても、自由党が早期から実質的に解体していたわけではない。
武装蜂起路線を確立したとも言われる17年春季大会の裏会議などの事情は、本書が書かれた時点では明らかになっていなかった。
逆に、本書には、加波山事件の人々に続いて武装蜂起に荷担しようと考えていた人々が存在したという口碑が掘り起こされている。
明治17年の自由党の路線の実態がどのようなものだったのかを明らかにすることが、本書刊行以降の課題として残されたわけである。