「新訳」シリーズの一巻。
わかりやすい訳を心がけたと訳者が言うように、わかりやすい。
レーニンは1890年代後半に世界の資本主義が新たな段階、すなわち帝国主義へと変容したとする。
帝国主義の経済的背景は、独占の進行と金融資本による市場支配の進行である。
帝国主義国は、商品を輸出する市場を求めて争うのではなく、資本の投下先を求めて争う。
第一次世界大戦に断固たる態度をとり得なかった第二インターナショナルのイデオローグたちは、この本のなかで、激しく糾弾されている。
闘う立場に立つと立たないとで、どのように経済学が異なってくるかが鮮やかに示される。
国家は今なお、資本がかぶっている仮面に過ぎない。
領土に関する紛争のほとんどにおいて、「国民」はなんの利害関係も持たず、兵卒として命を無駄に散らすだけである。
無人の離島一つ二つのごとき、そこを漁場としている人々以外には、「国民」にとって、塵ほどの問題でもない。
海に暮らす人びとにとって、国境など存在しないから、国家に依存して利害を守ってもらう状況などほとんどなく、紛争相手と現場で話をつけた方がずっと早い。
冷戦の時代には、イデオロギーを原因とする紛争が起きることがあったが、現在はレーニンの時代に逆戻りしたかのように、資本の論理が全面に出てきている。
それはしかし、資本投下の可能な植民地や従属国を獲得しようとするかつての帝国主義ではない。
資本主義国だろうが、共産党一党独裁の「社会主義国」だろうが、資本はどこでも活動する。
その際、国境は今や、存在意義を持たない。
人やモノの出入りをどんなに遮断しても、現在の情報やカネは形を持たないから、至るところを行き来する。
レーニンたちはヨーロッパで独占資本と闘う社会主義革命を企てた。
現代革命の課題は何だろうか。
まずは資本主義を、節度ある自由競争の時代に戻すことではないかと思う。