山梨県・長野県内を中心とする、武田信玄関係の史跡ガイド。
一読して、信玄関係の史跡が非常に多いのに、驚く。
ちなみに武州秩父地方は後北条氏の領国だったのだが、後北条関係史跡は、寄居の鉢形城以外に小さな支城(というか砦)が多数残っているだけである。
それらの砦も、後北条氏が築いたというより、秩父在地の武士が自衛のために作ったものばかりである。
北武蔵における後北条の歴史はごく短期間に過ぎない一方、甲斐における武田の歴史は守護大名時代から続いているので、時間的な重みも、全く異なるのだが、それ以上に、配下に組み込んだ武士団に対する支配のあり方もずいぶん異なっているのではないかと思われる。
秩父の武士団は、甲斐の武士に較べて自立性が強いのではないか。
中世以来の秩父は、一体を束ねる大名権力が存在しない真空地帯だった。
そういう中、関東地方へ急激に伸張した後北条氏が鉢形城に拠って、各地に根づいていた武士団を組織したのだろう。
武田氏は、支配域内の寺社と濃厚につながっている。
戦争に際しては勝利を祈願し、勝利すれば領地を寄進する。
信玄の信心深さは、現代人の常識をはるかに超えている。
秩父にも、八幡神社や諏訪神社が各地に存在する。
これらはおそらく、かつての戦いの歴史を反映するものなのだろう。
寺社に残る戦国時代の文書を洗うことで、秩父地方の戦国時代史がよりいっそうわかってくるのではないかと思う。